

7月の聖句
「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
テサロニケ信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節
今津幼稚園 後藤 聡
今年も暑い夏になると、長期予報で言われています。天候によっての被害がないようにと思いますし、何よりこどもたちが健康で、事件や事故にあわないように、この夏を歩みましょう。
今から2000年前、キリスト教の教会ができたころ、初期に活躍したパウロという人物は有能な人でした。地中海沿岸の町や村を旅しながら、神さまのことや主イエスが救い主(ヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリスト)であることを伝えたのです。ユダヤ人の会堂(シナゴーグ)がいたるところにありました。ユダヤではさまざまな課題のなかで生活することができず、出稼ぎのつもりがそれぞれの地に定着し、こどもが生まれたり、その地での市民権を得たりしました。しかし、土着化しても、神さまへの信仰、ユダヤ人としての生活習慣を守っていたのです。ユダヤ人の会堂は、礼拝のため、こどもの教育のため、今でいえば公民館的役割をもちながらユダヤ人たちが大切にしてきたのです。
今月の聖句は、「テサロニケの信徒への手紙」からですが、テサロニケは現在のギリシャ、アテネから真北にあり有数の港町です。そこにパウロたちがやってきたのは、西暦49年ごろです。ユダヤ人の会堂を拠点にしばらく滞在したのです。もちろん、主イエスの事を伝え、この方こそすべての人間の救い主であることを証しし、受け入れて新しい生活を始めるようにと語ったのです。
しかし簡単なことではありませんでした。同じユダヤ人とはいえ、今まで聞いたことのないような教えを受け入れることは困難がともない、混乱を招きました。反発は時に暴力的であったり、偽りの証言によって捕縛されたり、時にはいのちの危機さえありました。実際、多くの殉教者がいたことは、歴史のなかでも明らかです。一方、少なくない人々がそれまでのユダヤ教とは違う新鮮な感動をうけとめ、キリスト者として生きる決心をしました。ユダヤ人以外でも、興味や関心を示し、新しい教えと新しい生活を受け入れる人々が増えていきました。そのようにして教会ができていったのです。
教会というのは建物をイメージしますが、本来は信じる人々が集まることを意味しています。弟子たちの働きによって、ずいぶん早くから各地に教会ができていったのです。それはいいのですが、まだ今のような「聖書」があるわけではなく、いわゆる「教義」も固まっていたわけではありません。せっかくできた教会も、指導者が去ると雲散霧消したり、じゅうぶんな知識と信仰がないままあやしい指導者が入り込んできます。そういうことは現代にいたるまであります。強調するところが違ったり、解釈が違ったりします。キリスト教も、仏教も、他の宗教でも、一体教派がいくつあるのか数えきれないほどです。
テサロニケにある教会を励ますために、パウロは手紙を書いて送ります。個人宛の手紙というよりも教会の人々に読まれ、聞かされ、また書き写されて多くの人々が読んだのです。神さまに喜ばれる生活とはどういうものか、個人も教会という共同体も考えましょう、という手紙の最後に、パウロはこう記すのです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」と。不安や困難、苦難、苦闘の中にあっても、喜んでいなさい、祈りなさい、感謝しなさい、なのです。簡単なことではありません。悲鳴を上げたくなるほどの苦痛を喜ぶ、祈る、感謝することはできないと誰しも思います。しかし、長い人生のなかで、七転八倒の苦しさの中で、試練ではあっても、その試練と共に自らの存在が赦されていることを感じることがあります。こどもたちの笑い声に、道端の小さな花に励まされていることを感じるのです。