

3月の聖句
「主が一歩一歩備えてくださる。」旧約聖書:箴言16章9節
3月のメッセージ
今津幼稚園 後藤 聡
3月、年度末を迎えるこの時期、私たちはさまざまな思いを抱きます。こどもたちは一つ大きくなり、進級し、ゆり組さんは卒園して新しい世界へと歩みだします。保護者のみなさまにとっても、この一年は喜びと不安がいりまじる日々であったことでしょう。幼稚園という小さな社会の中で、こどもたちは毎日「一歩一歩」成長してきました。昨日までできなかったことが、今日は少しできるようになり、泣いていた朝が、やがて笑顔に変わっていきました。友だちとぶつかりながらも。やがて「ごめんね」と言えるようになるのです。成長とは大きな飛躍というよりも、目には見えにくい小さな歩みのつみかさねなのです。
旧約聖書の箴言という文書は、物語というよりも格言集のようなものです。「箴」とは針の事で、人に突き刺さることばという意味で、人間のありかた、生き方を考えます。その1節で「主(神さま)を畏れることことは知恵のはじめ」と語ります。人間が生きるというのは、神さまがおられるということを知ることから始まる、という意味です。こどもたちは聖書のことばを覚え、祈りのことばを覚えます。それは知識としてではなく、家族や自然、今津幼稚園が神さまと共にあることを心と体で受け止めていることなのです。
親として「この子はどんな子になるだろう」「どんな進路がよいだろう」と思い描くことは自然なことです。私たちはこどもの幸せを願い、できるかぎりの備えをしようとします。けれども聖書は同時に「その歩みを確かなものにするのは主(神さま)である」と告げます。それは、神さまにまかせ人間は何もしなくてよいという意味ではありません。むしろ、最善をつくしながらも最後にこどもたちを支え導く大きな力が、人間の手を超えて働いているという安心のことばです。
年度末はどこか寂しさもあります。別れがあり、環境がかわり、不安もあります。けれども神さまの導きは、特別な出来事の中だけでなく、何気ない日常の一歩一歩のなかにあります。入園したばかりの日の涙、初めてのお弁当や給食、うんどうかいや里山での小さな挑戦。ともだちとけんかしたり仲直りしたり。そのすべての場面に見えないけれどたしかな神さまの導きがあったと、私たちは信じています。こどもたちは、私たちの思い通りに育つ存在ではありません。けれども、神さまがその子に与えて下さったそれぞれの歩みがあります。保護者のみなさまが悩みながらも寄り添い、祈り、はげましてこられたその時間もまた、神さまが備えてくださった大切な歩みでした。
新しい年度にむかう今、どうか覚えていてください。私たちは未来をすべてみとおすことはできません。けれども「一歩」は必ず与えられています。今日の一歩、明日の一歩、その一歩一歩を神さまが備え、確かなものとしてくださるのです。こどもたちの歩みも保護者のみなさまの歩みも決して偶然ではなく、守られ導かれている歩みです。どうか安心して次の一歩を踏み出しましょう。神さまがすでにその道を備えて下さっています。
あらためて、この一年のさまざまなご協力に感謝申し上げます。


