

2月の聖句
「わたしがあたながたを愛したように、互いに愛し合いなさい」 ヨハネによる福音書15章12節
2月のメッセージ
今津幼稚園 後藤 聡
1月の後半から大雪でした。つもった雪がなかなか溶けず、園庭でのあそびがなかなかできません。それでも、みんな元気に過ごしています。
2月のメッセージも「愛」についての主イエスの言葉です。聖書が語る「愛」は「大切にする」という言葉におきかえることができます。たとえば「隣り人を愛する」というのは、自分ではない他者も大切にすることです。「敵を愛しなさい」というのも、敵だと思っている人間をも大切にしなさいということです。
それでは、今月の聖句はどうでしょう。「わたしが」と語られるのは主イエスであり、その背後におられる神さまのことです。つまり、神さまが、まず先に、私たち人間を愛しておられる、大切にしてくださっているのです。
そういうと、自分は神さまと関係ないとか、いや愛されてなどいないと思う方もいるかもしれません。そんなことはないのです。わたしも・あなたも、人間の存在は神さまの創造(神さまが願われ神さまの意志によって生まれること)によるものなのです。一人一人の名前を呼び、その存在を祝福し、必要な時に必要なものを与えられるのです。
それは、必ずしも人間の思いとは違うかもしれません。うれしいことや楽しいこともありますが、時として、自分にとっては望んでいないもの、病気やケガ、悩み、争い、苦痛であったり、試練であることもあるでしょう。それでも、神さまは、それがわたしに・あなたに必要なことなので、神さまがそうされていると考えるのがキリスト教なのです。
「互いに」というのは人間同士のことですが、そこには何の条件もないのです。つまり、家族や友人、知人に限定されないのです。人間は共通事項を見いだせば、さっきまで知らない人間でも話題がはずみます。世代が違っても、共通の趣味でもし好でも、ありうることなのです。しかし、違いだけが強調されると、相手を認めないことになってしまいます。
人間の歴史でも、キリスト教の歴史でも、争いは絶えません。話し合えばわかりあえることが、赦せなくなってしまいます。お互いの存在を認め合い、たとえたとえ違いがいっぱいあっても、それでも神さまに創造された人間同士、大切に思いあいたいのです。
その意味で、「互いに愛し合いなさい」はむずかしいことをしなさい、という意味ではありません。相手の話を少し聞いてみること、困っている人に気づくこと、うまくいかない日があっても「まあいいか」と思えること。そんな小さな行いの中に、「愛」はあります。毎日、泣いたり笑ったりしながら、人を思いやる心をはぐくんでいます。その姿は、大人の私たちにも大切なことを思い出させてくれます。忙しい日々の中でも「互いに大切に思うこと」。その一歩を、家庭でも園でも、共に重ねていけたらと願っています。
寒い日が続きます。今年度も残り2か月となります。新年度をそれぞれ準備しながら、健康に気を付けて歩みましょう。


