

11月のメッセージ
11月の聖句「神は愛である。」
ヨハネの手紙Ⅰ 4章16節
今津幼稚園 後藤 聡
11月の声を聞き、一気に初冬の気配が感じられるころになってきました。この月、幼稚園ではフェスティバルがあり、幼児祝福、収穫感謝の礼拝があります。そしてクリスマスの準備をしていきます。運動会後もあたらしいお友だちがふえ、こどもたちは幼稚園の生活を楽しんでいます。この時期、風邪などひかないように栄養と睡眠、休養に気をつけたいものです。
1922年に、この地に教会が建てられ、その10年後、最初は農繁期の託児所と始まったのが今津幼稚園です。教会の幼稚園ですから、現在と同様に毎日神さまにお祈りをしていました。そして簡単な聖書のことばを覚えました。幼稚園に入ったこどもたちが最初に覚え、最初に自分の口で言うのが今月の聖句「神は愛である」です。
みなさん、「愛」ということばを聞くと、どんなことを思い浮かべますか?
家族の愛、友情、恋愛、ペットへの愛情…。どれも温かい言葉ですが、同時に、愛は難しい言葉でもあります。思い通りにいかないとき、傷つくこともあるでしょう。それでも人は、愛を求めて生きています。聖書ははっきり言います。「神は愛である。」これは、「神が愛してくださる」というだけではなく、神さまの本質そのものが愛だという意味です。神さまは、愛することをやめることができないお方です。起こる時も、裁くときも、その根っこには愛があるのです。人間のように気まぐれな感情ではなく、変わらない愛です。
1549年、フランシスコ・ザビエル宣教師らがこの国にやってきました。「愛」という言葉を、当時の人々にどう伝えようと悩み、「大切に」という言葉で伝えようとしました。「神さまは私たち人間を大切にされる方である」、だから「人間も神さまを大切にし、自分を大切にし、困っている人や病いの人を大切にしよう」と伝えたのです。
神さまの愛が一番はっきりあらわれたのは、主イエスの生涯です。主イエスは、地位の高い人でも、罪びとと呼ばれた人でも、病気の人でも、分け隔てなく愛されました。人間は神さまに愛されているがゆえに、神さまを愛し、自分を愛するように隣人をも愛するのです。隣人は、家族や友人、知人だけにとどまりません。「敵を愛しなさい」とまで言われます。「敵」など愛せるはずがないと言ってしまえばそれまでです。それでもなお「敵を愛せよ」といわれるのか、それはその敵である人間も神さまが創られたからなのです。主イエスは最後に十字架で、自分の命を差し出してまで、私たちを愛してくださいました。ここに「神の愛が見える形」になったのです。
「ヨハネの手紙」の著者は言います。「神がこのように私たちを愛してくださったのだから、私たちも互いに愛し合うべきです。」愛とは、ただ「いい人になること」ではありません。神さまに愛されていることを知った人が、その愛を次の人へ渡すことです。ちょっとした「ありがとう」「おつかれさま」と声をかけること、人を許すことーその一つひとつが、神さまの愛の証になります。神さまの愛は、私たちの努力ではなく、最初から注がれているものです。だから、たとえ失敗しても神さまは「もう一度やり直そう」と言ってくださるのです。
「神は愛である」その愛に包まれて生きるとき、私たちの心にも、誰かを愛する力が与えられます。


