

9月のメッセージ
今津幼稚園 後藤 聡
9月の聖句
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
詩編23編1節
猛暑続きの夏でした。加えて、あちらこちらで大雨の被害があり異常気象におどろかされます。この異常気象は、自然現象には違いないのですが、人間の便利さによって起こっていると考えれば、わたしたち人間の生活全体や社会の仕組みを改めなければなりません。この5年、10年で変化したのは、その前の50年とか100年が問われているのです。
今津幼稚園のこどもたちは9月から1名増えました。また問い合わせもあるところです。このこどもたちが大人となる20年後がどんな世界になっているのか、今の大人たちの責任は大きなものがあります。二学期は、幼稚園でもさまざまな行事があり、ひとつひとつの経験が、ひとりひとりの飛躍につながっていくと願っています。
今月の聖句、聖書の言葉は旧約聖書の「詩編」からです。詩編は150の詩からなり、作られた時代も、その内容も違うものです。
聖書の世界、中東パレスチナは本来「遊牧」の地域です。羊やヤギ、牛などを育て、毛を刈り、食料にします。もちろん売り買いもします。なんとなく、のどかなのんびりとした光景を想像するかもしれません。しかし、日本とは違って砂漠や岩山だらけの土地です。青草だけではなく水の確保もかんたんではありません。あたりには猛獣などもいます。オオカミやサソリなどが格好の餌として襲ってくるのです。丸々と太り、もう間もなく出荷だというときに盗みに来る者もいます。高く売れるはずが買いたたかれることもあります。のどか、のんびりとは程遠い現実があるのです。これは昨今の「コメ問題」とも重なります。
とにかく羊飼いの苦労は大変です。危機に対処しなければなりません。青草を求め、水を飲ませなければなりません。今日は青草が見つからなかったから、水がみつからなかったから休みとはならないのです。その日が大事な日であっても、嵐であっても、羊飼いは探すのです。別のグループと争いになるかもしれません。囲いにいれようとしてオレは向こうがいいという羊をなだめすかしたりもします。羊は病気になったり怪我をしたりもします。その手当もするのです。羊飼いはなんでもしなければならないのです。この羊と羊飼いとの関係は、人間と神さまとの関係のたとえです。羊でいえば、もっといっぱい、もっとおいしいものをというかもしれません。その不満は人間も同じなのです。
しかし、わたしたちは必要な時に、必要なものを与えられているのです。人間の思いとしてはもっと、とか、違うものを要求したくなるのですが、神さまは文字通り、羊飼いが羊を養うように人間ひとりひとりを守り導いてくださっているのです。欠けることがないというのは、何も不足しているものはないということです。
主イエスがお弟子さんたちを宣教の旅に出し、帰ってきたときのやりとりです。「財布も袋も履物ももたせずにあなたたちを遣わしたとき、何か不足したものはあったか」と主イエスはたずねます。それに対して弟子たちは「いいえ、何もありませんでした」と答えます。
「欠け」や「不足」をいいだしたらキリがありません。けれども、存在が赦され、生命があることに感謝したいものです。神さまは、わたしたちひとりひとりをご存じなのです。